WHY THE WORLD DOESN’T NEED SUPERMAN?(2006)

スーパーマンはかなりやばいところにきてしまいました。第1作「スーパーマン」(リチャード・ドナー監督、1978)のときからクラーク・ケントことスーパーマン・カル・エルはロイスしか見ていませんでしたが、「スーパーマン リターンズ」(ブライアン・シンガー監督、2006)では、ロイスへの思いがはちきれそうでした。
 映画のスーパーマン・シリーズは、この「スーパーマン リターンズ」を含めて計5作ありますが、第3作「スーパーマンIII/電子の要塞」(第2作目と同じリチャード・レスター監督、1983)と第4作「スーパーマン4/最強の敵」(シドニー・J・フューリー監督、1987)は幾分趣が違います。
 第3作では、スーパーマンは高校時代の初恋の相手に迷ってロイスはちょい役、第4作では一応お馴染みのメンバーがすったもんだするにしても最強の敵の魅力のなさには映画を見続ける努力が必要とされます。
 ともかく、ここではスーパーマン・シリーズを第1、2、5作をひと繋がりと見て、3、4作を無視してダイアグラムをつくることにしました。
 スーパーマンの凄さの一つは間違いなく変身です。まず、髪型が右分けのケントから左分けのスーパーマンになり、しかもべったりからふんわりになります(第5作では分け目が微妙に違うだけでほとんど同じ髪型)。ケントのスーツがグラデーションでスーパーマンの例の、アメリカ国旗のオマージュのような赤マントと青スーツになるところから、「あれは皮膚だ」という説もでていましたが、5作ではケガしたスーパーマンが衣装を脱がされ、裸でベッドに寝ているシーンにでくわし、衣装は皮膚ではなかったことが判明しました。しかも、熱さも寒さもマントルに飛び込んでもへっちゃらだった衣装に第5作では尖ったクリプトナイトで刺されて穴が開きます。
 ともかくスーパーマンのロイスへの一目惚れは一途です。この2人のドラマの布石は第1作、スーパーマンがまだ高校生のとき、列車と競争したことがありましたが、列車を追い抜くスーパーマンを列車のなかから目撃していたのが、なんと幼少のころのロイス・レーンでした。
 しかし、スーパーマンはロイス一途ながら実体は、かなり危ない性格をしています。第2作で、普通の人間になってロイスとセックスをしたあとキスして、ケントがスーパーマンであることの記憶を消してしまう(この強力な記憶を消すためのキスは第4作でも使われます)。この記憶消しは破廉恥漢にとっての好都合の技です。
 そして、第5作では、2作のときのセックスでロイスは妊娠し、子どもを出産したことが明らかにされます。しかもスーパーマンはそんなことには無頓着で、故郷の星であるクリプトンがあったあたりに向けての旅にでていました。無責任極まりありません。  ともかくスーパーマンはあらゆることに鈍感です。熱さ寒さにも耐えられるし、あちこちにあたっても痛くないので、見た目は限りなくおっちょこちょいに見えます。そして、それは相手の気持ちを汲むことにたいしても鈍感となってしまうのです。セックスでも当然避妊など考えもしなかったでしょう。
 5年の長旅を経て帰ってきたスーパーマンことケントは、ロイスには子どもが1人いて婚約者と一緒に住んでいることを知ります。ロイスへの思いにスイッチが入り、抑えられなくなります。
 そう、スーパーマンがとった行動はまさにストーカーでした。侵入も透視も盗聴もお手の物のスーパーマンは、人類がかつて出会ったことがない最強・最悪のストーカーです。会社にいてもどこにいても耳はダンボです。  ロイスも揺れます。婚約者リチャードに気兼ねしながらも、九死に一生を得たばかりというのに、普通だったら子どもをまず安全なところに送り届けるのが先決だと思いますが、子どもと一緒に、スーパーマンを助けるために危難に立ち向かいます。
 負傷したスーパーマンは、自分の子ジェイソンのキスで甦ります。記憶を消したり、パワーを受けたりとクリプトン星人にとってキスはパワーの源です。こうして、今後、ジェイソンが絡むスーパーマン・シリーズが予想されます。
 それにしても、第2作で明らかになったことですが(第5作でもボロ負けする)、スーパーマンから超能力パワーが消えて普通の人間になったときの弱さといったらありません。あんな立派な身体(身長193cm、体重100kg)をしているのに自分より小さい相手に苦もなくひねられてしまいます。なんともカッコ悪い(というかやられ過ぎ)。パワーがあるときには不用心でもへっちゃらですが、パワーがないときにはこの不用心は致命的となります。このことは、超能力的パワーを過信しすぎて戦略もなにもなく、正面から敵に向かうだけの攻撃方法しか知らない、頭の訓練がおろそかになっていたとしか思えません。
 ところで第5作では、突然自分の目の前から消えたスーパーマンにたいする恨みをそのままぶつけたようなロイス・レーンの記事「Why the World doesn’t need Superman ? (世界はスーパーマンを必要としない)」がなんとピューリッァー賞を受賞しますが、スーパーマンが現れたことによってロイスの恋心が再燃し、あげくに「The World needs Superman」の記事を書く。一方、レックス・ルーサーもスーパーマン憎しから、スーパーマンをやっつける以外、どのような利益があるのかわからない大犯罪を犯します。
 結局、世界もこの2人も、完全にスーパーマンに振り回されているようです。スーパーマンさえいなければ、少なくともレックスの破壊のための破壊のようなふざけた犯罪も起こらず、ロイスが、気分で変わる私事を大論文のように発表することもなかったでしょう。
 ともかく世界がスーパーマンに求めているのは、並外れた力よりも、善悪が簡単につかない問題を解決できる知力だと思います。
 そんなわけで、映画「スーパーマン」の第1・2・5作を通した時間軸のダイアグラムでした。

 

ロイス・レーンがピューリツァー賞を受賞した記事のタイトル(「スーパーマン リターンズ」より)

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ロイス・レーンがピューリツァー賞を受賞した記事のタイトル(「スーパーマン リターンズ」より)


スーパーマンはかなりやばいところにきてしまいました。第1作「スーパーマン」(リチャード・ドナー監督、1978)のときからクラーク・ケントことスーパーマン・カル・エルはロイスしか見ていませんでしたが、「スーパーマン リターンズ」(ブライアン・シンガー監督、2006)では、ロイスへの思いがはちきれそうでした。
 映画のスーパーマン・シリーズは、この「スーパーマン リターンズ」を含めて計5作ありますが、第3作「スーパーマンIII/電子の要塞」(第2作目と同じリチャード・レスター監督、1983)と第4作「スーパーマン4/最強の敵」(シドニー・J・フューリー監督、1987)は幾分趣が違います。
 第3作では、スーパーマンは高校時代の初恋の相手に迷ってロイスはちょい役、第4作では一応お馴染みのメンバーがすったもんだするにしても最強の敵の魅力のなさには映画を見続ける努力が必要とされます。
 ともかく、ここではスーパーマン・シリーズを第1、2、5作をひと繋がりと見て、3、4作を無視してダイアグラムをつくることにしました。
 スーパーマンの凄さの一つは間違いなく変身です。まず、髪型が右分けのケントから左分けのスーパーマンになり、しかもべったりからふんわりになります(第5作では分け目が微妙に違うだけでほとんど同じ髪型)。ケントのスーツがグラデーションでスーパーマンの例の、アメリカ国旗のオマージュのような赤マントと青スーツになるところから、「あれは皮膚だ」という説もでていましたが、5作ではケガしたスーパーマンが衣装を脱がされ、裸でベッドに寝ているシーンにでくわし、衣装は皮膚ではなかったことが判明しました。しかも、熱さも寒さもマントルに飛び込んでもへっちゃらだった衣装に第5作では尖ったクリプトナイトで刺されて穴が開きます。
 ともかくスーパーマンのロイスへの一目惚れは一途です。この2人のドラマの布石は第1作、スーパーマンがまだ高校生のとき、列車と競争したことがありましたが、列車を追い抜くスーパーマンを列車のなかから目撃していたのが、なんと幼少のころのロイス・レーンでした。
 しかし、スーパーマンはロイス一途ながら実体は、かなり危ない性格をしています。第2作で、普通の人間になってロイスとセックスをしたあとキスして、ケントがスーパーマンであることの記憶を消してしまう(この強力な記憶を消すためのキスは第4作でも使われます)。この記憶消しは破廉恥漢にとっての好都合の技です。
 そして、第5作では、2作のときのセックスでロイスは妊娠し、子どもを出産したことが明らかにされます。しかもスーパーマンはそんなことには無頓着で、故郷の星であるクリプトンがあったあたりに向けての旅にでていました。無責任極まりありません。  ともかくスーパーマンはあらゆることに鈍感です。熱さ寒さにも耐えられるし、あちこちにあたっても痛くないので、見た目は限りなくおっちょこちょいに見えます。そして、それは相手の気持ちを汲むことにたいしても鈍感となってしまうのです。セックスでも当然避妊など考えもしなかったでしょう。
 5年の長旅を経て帰ってきたスーパーマンことケントは、ロイスには子どもが1人いて婚約者と一緒に住んでいることを知ります。ロイスへの思いにスイッチが入り、抑えられなくなります。
 そう、スーパーマンがとった行動はまさにストーカーでした。侵入も透視も盗聴もお手の物のスーパーマンは、人類がかつて出会ったことがない最強・最悪のストーカーです。会社にいてもどこにいても耳はダンボです。  ロイスも揺れます。婚約者リチャードに気兼ねしながらも、九死に一生を得たばかりというのに、普通だったら子どもをまず安全なところに送り届けるのが先決だと思いますが、子どもと一緒に、スーパーマンを助けるために危難に立ち向かいます。
 負傷したスーパーマンは、自分の子ジェイソンのキスで甦ります。記憶を消したり、パワーを受けたりとクリプトン星人にとってキスはパワーの源です。こうして、今後、ジェイソンが絡むスーパーマン・シリーズが予想されます。
 それにしても、第2作で明らかになったことですが(第5作でもボロ負けする)、スーパーマンから超能力パワーが消えて普通の人間になったときの弱さといったらありません。あんな立派な身体(身長193cm、体重100kg)をしているのに自分より小さい相手に苦もなくひねられてしまいます。なんともカッコ悪い(というかやられ過ぎ)。パワーがあるときには不用心でもへっちゃらですが、パワーがないときにはこの不用心は致命的となります。このことは、超能力的パワーを過信しすぎて戦略もなにもなく、正面から敵に向かうだけの攻撃方法しか知らない、頭の訓練がおろそかになっていたとしか思えません。
 ところで第5作では、突然自分の目の前から消えたスーパーマンにたいする恨みをそのままぶつけたようなロイス・レーンの記事「Why the World doesn’t need Superman ? (世界はスーパーマンを必要としない)」がなんとピューリッァー賞を受賞しますが、スーパーマンが現れたことによってロイスの恋心が再燃し、あげくに「The World needs Superman」の記事を書く。一方、レックス・ルーサーもスーパーマン憎しから、スーパーマンをやっつける以外、どのような利益があるのかわからない大犯罪を犯します。
 結局、世界もこの2人も、完全にスーパーマンに振り回されているようです。スーパーマンさえいなければ、少なくともレックスの破壊のための破壊のようなふざけた犯罪も起こらず、ロイスが、気分で変わる私事を大論文のように発表することもなかったでしょう。
 ともかく世界がスーパーマンに求めているのは、並外れた力よりも、善悪が簡単につかない問題を解決できる知力だと思います。
 そんなわけで、映画「スーパーマン」の第1・2・5作を通した時間軸のダイアグラムでした。




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