BLADE RUNNER or Histoire de l’oeil
リドリー・スコット監督の映画「ブレードランナー」
或いは「眼球譚」
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30数年後の近未来をイメージすることの難しさは2つの映画の例でわかります。1968年に公開されたスタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」は、33年後の未来を描き、1982年に公開されたリドリー・スコット監督「ブレードランナー」は、37年後の2019年が舞台。2019年は現在からある程度予測がつきますが、いくらなんでも車が空を飛ぶことはないでしょう。それから、どちらも電話はテレビ電話止まり。テレビはブラウン管でした。昔のSF映画で、現在の携帯電話の発達を予測できたものはたぶんないでしょう。
しかし、「ブレードランナー」が提示した未来は鋭い。酸性雨が降り続き、人々は住み難くなった地球を逃れ、地球にとり残された都市にはさまざまな民族、さまざまな言語が飛び交います。多民族、多言語を未来描写の視点に据えた映画は「ブレードランナー」が初めてかもしれません。そこで、アメリカ移民史を眺めてみましたが、あたかもどこかの惑星への移民を描いたSFを見る思いがしました。
ここでは、「ブレードランナー」完全版(1982年の一般公開版)をもとに登場人物たちの軌跡を追ってみました。現在、よく放映されるのはスコット監督が再編集した最終版としてのディレクターズカット版ですが、こと「ブレードランナー」に関していえば、監督がつくりたいようにつくった映画が常に最高とは限らないことを示しています。完全版と最終版の大きな違いは、デッカードのナレーションのカット、デッカードの夢にユニコーンを登場させたこと、キューブリック監督「シャイニング」のオープニングの別テイクを使ったラストの出奔のカットなどです。この憤りの詳細は、加藤幹郎著『ブレードランナー論序説』(2004、筑摩書房)に詳しく載っています。
レプリカントの目は赤く光る、など映画「ブレードランナー」は眼球イメージに満ちています。ここではこの映画を、ジョルジュ・バタイユになぞらえて「眼球譚」映画として捉えて、頻出する眼球イメージ・シーンをポイントしてみました。