日本の原子力受容史
-
世界で最初の被爆国でありながら、戦後10年もたたずに、ともかく原子力の研究をはじめたい、という科学者を筆頭に、再軍備論者の中曾根康弘、イベント感覚で原子力平和利用をぶち上げ、日本の原子力の父となった正力松太郎など、利権がからんだ原子力亡者が輩出。特に、読売新聞と日本テレビを牛耳っていた正力によるマスコミ・キャンペーンは日本に原子力産業を根付かせる大きな役割を果たしました。官産複合体という社会主義的発展を遂げた日本の原子力産業の黎明期である、原爆被害から東海発電所が原子力の営業をはじめるまでの21年を追ってみました。