徳川幕府の鎖国時代の海外交渉史
Shut Out
-
江戸時代のことを調べれば調べるほど徳川幕府の考え抜かれた支配システムには感嘆します。鎖国をするにあたって,まず,情報の集中的把握を真っ先に考え,ヨーロッパとの交易はオランダ一国に限り,港も長崎の出島のみとし,交通網も整備して情報が中心に流れやすくし,定期的に通信文やオランダ・カピタン(商館長)を江戸に参府させて直に情報を得ていました。当時日本と同じようにヨーロッパと鎖国状態だった中国とも同様の付き合い方をし、その裏では各藩の大型船を取り壊させ、独自に外国等と交易ができないようにしてもいました。
江戸時代初期の闇であるキリシタン迫害については、いくつかの要因があります。オランダが、日本との交易を得たいがためにキリスト教が広まるとポルトガルやスペインが侵略しやすくなると幕府に進言した二枚舌外交や、仏教などと比べても、天と直結していて、誰でも神と直接対話ができそうな、幕府を無視して神の恩寵を届けるキリスト教のシステムへの幕府側の脅威などがありました。宣教師フランシスコ・ザビエルのローマ法王にあてた手紙をみると、侵略の先兵を自覚していたふしもあります。
こうしてはじまった鎖国も、完璧に整備されたかのような情報の垂直化も時が経てば、当然のことながらほころびはじめます。遭難して外国船に助けられた日本人がもたらす異国の情報や、参府の折りの道中で見かける異人など、庶民にとってハレの瞬間でした。
かくして幕末の騒乱で開国を迎えますが,日本が列強の植民地にならなかったのは運がよかったとしかいいようがありません。アメリカは南北戦争で,オランダはクリミア戦争でともに疲弊し,英仏はお互い牽制しあって一歩前にでられず,もちろん侵略の先兵キリスト教も地下に潜んでいました。
しかし、鎖国期に出版されたブックリストを見ても、公的にも私的にも知識欲が旺盛だったことがよくわかります。どうやら、鎖国効果が完全に生きていたのは迫害された隠れキリシタンたちで,ヨーロッパのキリスト教関連の情報が途絶えて、何世代も経て開国を迎え、明治政府になっても迫害され続けたとき,自らを正統とし、ローマを異端とみなす宗教的変質を生じたグループもあったようです。
そこで、鎖国時代なのに、海外のかなりの情報が日本に入ってきた様子を追ってみました。