ノーチラス号の海底散歩
NAUTILUS’ submarine walk
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1670年代にジョン・オギルビーという人がつくったロード・マップは、それまでの地図の概念を新たにする視点が盛り込まれていました。それは、ロンドンを起点として、イギリス各地の100都市に向かう道路をやや蛇行しながらもほぼ直線でひと繋がりに帯状にあらわしたもので、道路が進むにしたがって方位は変化し、移動する人、乗り物側から見た主観的環境という視点になっていました。風景は視点の移動に伴って、さまざまな顔を見せてくれます。こうした地図のつくり方は、巡礼地図や、河下り地図などに応用されます。
鎖国中の江戸時代にも、西洋と同期するかのように、主に参詣図というロードマップが誕生しています。宿場、景観が、直線状の道路の周囲に配され、全体として巻物状、経文状、角渦状にレイアウトされていました。こうしたはじまりと終わりのあるロードムーヴィー的なロードマップは、名所双六も生み出しました。
映画におけるロードムーヴィーとは、突然の予期せぬ旅のはじまりと、カタストロフィを伴った旅の終わりが訪れます。『気狂いピエロ』『イージーライダー』『バニシングポイント』、そして『ボニーとクライド』などがロードムーヴィーのはじまりでした。このカタストロフィはすべて「死」で終わるのが特徴です。
ジュール・ベルヌの『海底2万哩』も一種のロードムーヴィーでした。最後のカタストロフィは「死」で終わるわけではありませんが、ノーチラス号での旅が、しばしば死と再生の通過儀礼──海獣(ノーチラス号)に飲み込まれ、さまざまな体験を経て一回り大きくなって再びもとの世界に戻ってくる──として語られてきたように、やはり「死」と無縁ではありません。
そこで、『海底2万哩』の主役、電気式潜水艦ノーチラス号が旅した約7ヵ月32、000キロの海底散歩のロードムーヴィー的ロードマップをつくってみました。海底の深度によって上下に振幅する海底ベルトの上をさまざまなドラマと共にノーチラス号は移動します。平坦でないベルトがもたらす蠕動運動によって海底は速度を得、それに伴ってさまざまな事態を招き、メエルストレイムの渦に巻き込まれるカタストロフィを迎えます。
ベルヌと言えば、19世紀から20世紀はじめのフランスの植民地拡張政策の時代に、その著作を通じて「文明化の使命」という大東亜共栄圏構想的な考え方の推進に無自覚に参加していたのではないかと克明に検討している本があります(『文明の帝国』杉本淑彦)。それによると、人種主義、エスノセントリズム(自民族中心主義)、西洋中心主義に基づいて、物質文明をもって植民地にも恩恵を施そうという「文明化の使命」論が、いまでも先進国によってさまざまに形を変えてなされてきているとありました。
とはいえ、ベルヌによる、未来の科学技術にたいする懐疑・ペシムズム、オブジェ的乗り物群、遙かなる旅の夢の魅力などへの語り口はおもしろく、とりわけ、現在の日進月歩の科学の発展の予測と警鐘には耳を傾けるものがあります。